通訳ダニエル・シュタイン

Danielこのところ、歴史的に重い題材を扱いながら、軽やかに読め、かつ力作だと思える小説を読み、幸せだ。まず村上春樹の1Q84、続いて池澤夏樹のカデナ、そしてこのロシア女性作家リュドミラ・ウリツカヤの通訳ダニエル・シュタインだ。世界のアマゾンで探したが、まだ英仏独圏での翻訳は無いようで、ロシア語でしか上梓されていない。日本ではこの作家の小説が何冊も新潮社から出ており、それでこの小説の世界初?の翻訳を楽しめて日本人読者は超ラッキーだと思う。

ほぼ実話に基づいている。主人公のダニエルはポーランド生まれのユダヤ人だが、ナチのユダヤ狩り(およびポーランド人狩り)で何度も九死に一生の危機に会うが、その都度、難を逃れ生き延びる。ある時はドイツ軍の通訳(ベラルーシと、ポーランド語をドイツ語に訳す)として雇われ、軍から得た情報をユダヤ人のゲットーに流し、彼らの命を救う。情報漏洩が見つかり、危うく銃殺されるところを逃れ、尼僧院に逃れた。両親が、知人が、そしてゲットーの罪も無い子供や女性、老人がむざむざドイツ人やベラルーシの傭兵に殺されるのを何度も目撃し、神は無いのかと思い悩んだが、僧院で新約聖書を読み、はたと思い当たる。そうだ、神さまは苦しむ人と共に有ったのだと。神は私たちと共に殺されていたのだ。ユダヤ人やポーランド人と一緒に苦しむ神がダニエルの神だった。イエスが本当にメシアであり、その死と復活が、まさにダニエルの問に対する答えだと。

戦争で失った命だ、後世は神に捧げようと、彼はドイツ軍から逃れた後にカソリックの修道院で修行し、パレスチナの新生イスラエルに渡り、修道士として難民のポーランドや東欧出身のユダヤ人キリスト教信者(多くはカソリック)の救済に努める。イスラエルは法を改正し、母親がユダヤ人で、ユダヤ教を信ずる者のみにユダヤ国籍を与えようとする。そのように、キリスト教とイスラム教を迫害するイスラエルの中で、ダニエルがどう戦って行くか、これからがますます面白くなりそうだが、まだ上巻を読んだばかりなので。下巻を読んでから続きを書きます。

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池澤夏樹 カデナ

Photo池澤夏樹のカデナを読んだ。小説の舞台は沖縄のカデナ基地、時期は1968年とちょうど我々の世代が多感な時代を過ごした時だ。中国の文化大革命から始まり、チェコでのロシア軍進入、ベトナム戦争反対を起点として起こった東大、京大、日大等全国の大学で学園闘争がたけなわだったときでもある。そして、小説の舞台、カデナ基地では4人の主人公が北爆情報を北ベトナムに流そうと努める。

B521s B52、米空軍でのあだ名はBUFF (big ugly fat fucker)、このB52のパイロットでベトナム上空での狙撃におびえるパトリックが陰の主人公だが、米軍、日米安保体制、ベトナム戦争に代表される国家体制に、あえて素手で立ち向かう主人公は基地で働く女性フリーダ(米国、フィリピンのハーフ)、模型店の朝栄さんはサイパンで家族を失った哀しい過去がある、ドラマーのタカは米人のご主人に捨てられ自殺した母を持つ、そしてベトナム生まれサイパン育ちの安南さん。みな、よそ者のキャラクターを持つ。

奥さんの幸子との生活に満足し、無事と言うのは心配事が無く息災であると考える朝栄さんが、基地の米人事務官のフリーダが、なぜあえてスパイ行為をしようとするか、それぞれの理由があるが、朝栄さんと安南さんが話し合うときの言葉、「国家より個人が優先すると思えば良い」、「愛国心は感情としてどこか気恥ずかしいものだ」で説明されるのかもしれない。

B52_2s フリーダはパトリックの恋人になり、将来の結婚を夢見るが、事故でパトリックを失ってしまう。事故でB52が炎上してしまったのだ。彼女は嘆く、「いったいあたしはあの人をどれだけ知っていたんだろう。こうやって思い出そうとするとなんだか何も出てこない。つい昨日だって抱き合ったのに、キスしたのに、それがどんどん薄れていく。これからいっぱい知ろうとしていたのに、もうその機会がない」。 だが、その彼女も時がたち立ち直って故郷のフィリピンに戻っていく。

1968年は基地の重圧に悩む沖縄には暗い重苦しい年だったが、明るい口調のフリーダをはじめ、けっこうエンタメとしても読める小説できっと楽しめると思う。僕としては1Q84と同じくらい面白かった。

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贖罪、う~ん、どうかなぁ

Photo_2 告白で本屋対象を取った湊かなえの第二作、贖罪を読んだ。告白と同じ、同一人に宛てた手紙形式の小説。第一章は夜半読んでいて背筋がぞくぞくっとして怖さを覚えたので、腕はたしか。だが、第二章以下の展開は、それほど意外性も感じられず。主人公が4人の小学生の成長した姿というのも、ヴァラエティーに限られ性格付けに深みが出なかった理由かも。

待ち遠しくて 定価を払って、というレベルの本ではないような気がする。第三作も同じ形式だとしたら、読者がついて来ないだろう。

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村上春樹の1Q84

1q842ようやく、1Q84(1-2巻)を読み終わった。新宗教団体(オームのような)の問題は確かに背景に存在しているが、僕には主たるテーマは主人公天吾(小説家を目指す、塾講師)と青豆(ジムのトレーナーをしつつ、女性に暴力を振るう男性に社会の鉄槌を振るう)の間の、まだ満たされない恋物語のように思われる。第2巻の最後に、青豆は天吾に降りかかろうとるすスモール・ピープルの邪悪の手から彼を救うために自らが犠牲になることを決意するが、その後は...。やはり第3巻に続くんだろうね。

1-2巻を通じ、主人公の天吾は何となく陰が薄くて、青豆と、それからスモール・ピープルと交信できる「ふかえり」の存在の方が光っているようだ。だが、最後になって、ふかえりの体験を基に天吾が書きなおした小説のディテールが現実となり、それと同時に夜空に二つに月が浮かび、彼は何時しか実在の1984年から1Q84年の世界に入り込んでゆく。そこで見た空気さなぎの中に、彼のこれからの運命を知らせる何かが包まれていた。

というわけで、第3巻が待ち遠しいね。筋や背景にこだわらずとも1頁1頁が面白い。

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1Q84とバッハ

1q84 村上春樹の1Q84のBook1を読み終わったところ。読み出すと止められなくなり傑作だと思うが、書評はBook2を読んでから。

この本の構成がバッハの平均律ピアノ曲集に拠ると何処かの解説に書いてあったので、さてどんな曲だったかなとアマゾンでCDを見ると、グールドの見慣れた顔がある。そうだ、このCD持ってたんだ(曲名でなくてCDの写真で憶えてる変な記憶力です)と思い出し、掛けてみた。2度ほど聴いたが、以前はゴールドバーグ・ヴァリエーションズに比べるとちょっと退屈、と思っていたが、今聴くと実に良い。歳の功かな、ちょっと教会の雰囲気に浸ったからかな?

Matthew
で、バッハの名曲というと、マタイ受難曲がある。持ってないので、またアマゾンで全曲(30秒ずつ)視聴してみた。ちなみに、歌詞が英語で歌われている バーンスタイン、NYフィル版、だって原語のドイツ語は分からないもんネ。そしたら、CD2の"O Thou, with hate surrounded"の調べがどこかで聴いた覚えがある。旋律って不思議なもので、昔の記憶がすっと甦るんだね。そうだ、ちょうどマリーが亡くなったと ころだが、フォークソングのピーター・ポール&マリーのアルバムで聞いたことがある。
Ppm
またまた、アマゾンで調べると、右の写真のアルバムで、曲名は"Because all men are brothers"。でも30秒しか聴かれないので、もうちょっとと思い、今度はYou Tubeで曲名を入れてみたら、

下のサイトで出てきましたよ。聴いてみてください。ピーターがちゃんと、原曲はバッハ作曲ですと紹介している。元々の題名はThe Whole Wide World Aroundと言うのだそうだが。

http://www.youtube.com/watch?v=HPbB5n-OW8Q

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ねじめ正一の江戸小説が面白い

Photoねじめ正一といえば、直木賞が授与された高円寺純情商店街が有名だが、実は著名な現代詩人らしい(詩はまだ読んでないので、らしいです)。

彼だから書ける?恋愛小説。 荒地という詩人同人に属した田村隆一(彼の詩は読んだ記憶がある、僕らの世代では任期だった)と北村太郎(ぜんぜん知らない)の、田村の妻をめぐった激しい恋愛物語を書いた荒地の恋を昨年読んだが、久しぶりに素晴らしい実名恋愛小説を読んだと思った。これは言葉をたいせつにする彼の詩人としての側面が出た作品か。

Photo_3 でも、江戸小説も面白い。高円寺純情商店街でもそうだったが、下町育ちの作者が、そこでの人情機微、下町言葉のあやの面白さ、などを江戸時代に置き換え、テーマとして新商品の工夫を盛り込んだ作風が最初のページから読み終わるまで読者を放さない。この商人ではかつおぶしの”にんべん”がモチーフになっている。

Photo_4 眼鏡屋直次郎では、江戸末期のシーボルト事件を陰のモチーフとして、曲亭馬琴まで出てくるが、主人公は眼鏡屋の直次郎。大店の放蕩息子が、遊郭の花魁に頼まれ、女性がはめてもきれいに見える眼鏡の工夫を始めるところから、商売が盛んになってくるところが面白い。小唄の師匠こかつとの恋物語も楽しく読ませる。

Photo_5

ねじめは、他にシーボルトの眼という江戸小説も書いているが、眼鏡屋直次郎で登場させた絵師川島慶賀に作者がほれ込んでしまったのだろう。シーボルトに仕える川島のやりとりが、歴史の裏にこういうこともあった(かもしれない)と考え面白い。

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希望ヶ丘の人びと

Photo重松清の「希望ヶ丘の人びと」を読んで不覚にも途中からボロボロ泣いてしまった。郡山ー東京間の列車の中で読んでいたので、周りには乗客がたくさん居たがそんなことは構わず、ともかく泣けてくるので。

Photo_2 たしか4年ほど前に出された「その日のまえに」、奥さんがガンで亡くなる前に故郷の町を家族で訪れるというようなストーリーだった。ちょうど家内を亡くした後だったので、身につまされて読んだ記憶がある。

その後日談というので、今回「希望ヶ丘の人びと」を読んだ。東京での仕事を辞め、家族と一緒に奥さんの育った町に引っ越して受験塾を経営し、奥さんの学校時代の友達と知り合い、さまざまなことが起きてと、なかなか面白い筋立てになっている。

だが、泣けたのはそんなところではない。物語の最後のほうで、副主人公のエーちゃん、なかなか魅力のある人物に描けている、が亡くなった奥さんのことを「幸せだったんだよ、あんなにいい子供をのこしたんだ、幸せな人生に決まってるだろう」と語ったこと。「あの子たち(主人公と奥さんの子供たち、が希望だったんだ、希望のある人生は...幸せなんだよ、絶対に。」

頭の中では、家内が短いながらもせいいっぱい生き抜いた人生を送り、幸せだったろうと自分に言い聞かせてきたが、必ずしも自分で納得しきれたわけではなかった。友人達にも、立派な息子を残したのだから良い人生だったと説明していながら、自分では腑に落ちていなかったのが現実のところだった。

だが、この本を読んで、本当にストンと納得できた。二人の息子は立派にそれぞれの人生を歩み始めている。自分達の家族も出来つつある。親としてはもう見守るしかない。それが地上からか、天国からかの違いだけだ。見守るということが今の幸せなのだ。

そういうことを一気に感じて涙が止まらなくなったということ、家内が亡くなって4年経ち、ようやく気持ちの整理がついたのだろう。この本がその引き金になったことを感謝したい。

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不都合な真実

Photo_2  2007年の初めに出た「不都合な真実」、DVDも本も未だ見ていなかったが、09年になりようやく読む機会があった。大型本は2,900円もするので図書館で借りて。もう少し小型の本は1,260円だそうです。

内容的には地球温暖化報道で新聞やTVを通じ知っていることが多いが、豊富な写真やグラフを活用して分かり易く出来ている。逆に言えば、この本や映画が全世界で有名になったから日本での地球温暖化報道も盛んになったのかも知れない。

この本は科学的に間違っているという本、例えば「地球温暖化論のがウソとワナ」ベストセラーになっている。評判になるとそれを認めたくない人が必ず居るし、どんな科学的調査も別の角度から見れば違う結論付けも可能だから有名になりたい人、「不都合」を感じている企業や政治家の支援を受けて、そのような著書をまとめようとする人が居るかもしれない。Amazonのレビューを見ても、否定的な意見を述べる人は沢山居る。例えばフロリダ、上海近郊、オランダなどはグリーンランドや北極の氷が溶けると水没するとあるが、数千年先のことを心配しても仕方がないとか。ちょっと待ってください。確かに僕自身も僕の家族も数千年先に生きていないことは間違いないが、昔を振り返れば僕達は、紀元前数千年前に起きたエジプトや黄河文明の歴史的遺産を博物館でも直接現場を訪れて楽しむことが出来る。それと同じで、今21世紀初頭に生きる僕達は30世紀、40世紀の人類に対し何らかの責任があるのでは無かろうか?

真近なところでは日本一レベルだった猪苗代湖の水質の急激な悪化、これは温暖化(100年で3.8度)の影響、観光客等のゴミ捨て、川鵜の異常繁殖等の複合要因だが、温暖化のインパクトが大きいことは間違いない。とりあえず岸辺の掃除のお手伝いには努めるが。

この不都合な真実は啓蒙書であり、科学書ではない。この本が科学的かデマなのかそういう論争は人に任せ、今僕らに必要なことはこういう地球温暖化に関する本や報道を見て、自分が何が出来るだろうか考え、ほんの小さなことでも自分自身や家族で実行することではないだろうか?

僕のやっていること;

エコ運転に努める(このブログにも書いているが):急発進、急ブレーキをしない運転、アイドリングストップ。

休日は出来るだけ運転しないで自転車でお買い物。

マイバッグやスーパーの古いプラスチック袋を折りたたんで持ち歩き、できるだけスーパーで袋を新たにもらわない。(ちなみに岸辺には本当に沢山のプラ袋やペットボトルが打ち捨てられている、一度見られたら嫌になると思います。)

風呂は沸いたらすぐ入り、残り湯で洗濯。

とまぁ、ごくごく当たり前のこと。他にも何かできそうなことはあるでしょうか?

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人類が消えた世界

The_world_without_us 「人類が消えた世界」は07年の全米のいろんなカテゴリーでノンフィクションの1位になっている。新聞の書評で面白そうだったので、読んでみたが、確かに人に進められる本だ。

巻頭のイラストで何かの理由で人類が消えてしまった後のニューヨークの街の姿がどう廃墟に移り変わって行くかまざまざと知らされ驚かされる。

著者はマンハッタンから出発し、アフリカ、ニューイングランド、キプロス、朝鮮などなど世界のいろんな場所で、人類に先立ちどのような動植物が何故どのように滅びてしまったかを描いている。北米に住んでいたマンモスを始めとする巨大な哺乳類が何故絶滅してしまったのか? マーティンの電撃戦理論、新大陸に移住してきた人間が石器の斧や鉈、槍で食料のために殺戮してしまったのだという。アフリカではチンパンジーやピグミーチンパンジーと共通の祖先から人間は分かれてきた。森のへりの草深い疎林で暮らす適性を持つために直立し火を使うようになったという。

人間が居なくなった場所、ひとつは激しい民族間の殺し合いを続けた南北キプロス(ギリシャ系とトルコ系のキプロス人の国々)の間に設けられたグリーンライン、一つは南北朝鮮の間に細長く延びるDMZ(非戦闘地域)、前者では海辺の景観に立てられた豪華なホテルの列が打ち捨てられ木々や蔦、雑草が延びて覆われて鳥や鹿などの糞であふれている。後者にはタンチョウヅルやマナヅルg狩猟者に煩わされず沼にすむ魚をついばむ楽園と化している。残虐な戦争の結果一時的に設けられた中立ゾーン、人間が入れない区域で、自然が復活を遂げている。人間の殺し合いを避けるために設けられた人が入れない中立ゾーンで生き物が力強く甦っていると言う皮肉な風景でもあり、もし人類が消えてしまった後の世界を暗示してもいる。

オゾン層の破壊による紫外線照射量の増大懸念と、オゾン層再建への努力、地球温暖化の恐れ、ゴミの問題についても触れられている。ハワイとカリフォルニアの中間の海域にとんでもない量のゴミが浮かんでいる。客船や貨物船から捨てられたゴミばかりでなく、カリフォルニアや北アメリカ沿岸から、陸上で発生したゴミが河に捨てられ流れ流れてこの海域にたどり着く。ゴミの中に多量に含まれるプラスチックが流れる間の衝撃で細かく細かく粉砕され海域を漂い小さい魚に食べられる、さらに大きな魚に、そして海鳥やアザラシ、ペンギン、白くま等々食物連鎖を通じより大きな動物に食べられる。蓄積したプラスチックがいったいそれらの動物の健康や生命力、繁殖力にどういう悪影響を及ぼすだろう。

最近洗顔料に含まれるスクラブ、最初は植物性のものだったが今はほとんどが細かいプラスチックの粒になっている。女性の肌を美しく磨き上げたスクラブが下水道から浄水状をへて河に、海に流れ込み、上記のプラスチックのようにプランクトンから魚へとの食物連鎖でいずれは我々人類の食卓にたどり着く。おもわず怖くなってしまう。

悲惨なことばかりではない。人間の手で地上の自然は次第に退化し巨大動物種はアフリカを除き絶滅したが、海洋種の大多数は激減はしたがまだ生きている。温暖化も氷河期も長い地球の歴史の中で何度も繰り返されてきた。もし何らかの事情で人間が絶滅しても、河が海に栄養素を流し込み、長い時間の後に何かの脊椎動物種が海から陸に上がってくるだろう。その時世界は一からスタートを切るだろう。著者の地球とそこに住む生命に対する謙虚さが現れていると思う。

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僕には数字が風景に見える

_ 2005年末にNHK地球ドラマチックで放映された「ブレインマン」を見られた方も居られると思う。その数学と語学の”天才”の英国人ダニエル・タメットの著書「僕には数字が風景に見える」を読み、天才の栄誉の影に、人とのコミュニケーションに障害を持つ著者の苦しみ、葛藤と、家族や友人の愛情に包まれ少しずつそれを乗り越え自立し社会と共生し、自分と同じような障害を持つ人々を助けようと活動する著者の勇気ある行動に感銘を覚えた。

1から10、000までの数字の一つ一つが個性を持ち、独自の色や形を持つ、長い数式も数字のつながりが美しい風景に見え、一瞬の間に計算結果が分かってしまう能力がある。サヴァン症候群と言い非凡な才能と脳の発達障害を持つ人々が居るが、著者も映画レインマンで有名になった米国キム・ピークもそれに属する。また著者はアスペルガー症候群の障害も持つ。

自閉症とよく似たアスペルガー症候群、どちらも共通する中核的な症状がある。

①人の心の動きがよく分からないので、対人関係が上手にとれない。

②ひとつのことに強くこだわり、新しいことがらや環境をなかなか受け入れられない。

著者は小さな頃から人との関わりがうまく行かず普通の人が何気なく出来る日常の行いもうまく行かなかった。保育園や学校にもなじまず友人も出来にくいという孤独と苦痛の暮らしだったが、家族の献身的な愛情に包まれ育っていった。高校を卒業して英語教育のボランティアでリトアニアに一人で旅立つ。話は変わるが、こういう障害者もボランティアに起用する英国団体の懐の深さにも感じ入る。大変な努力で不安と緊張を乗り越え、見知らぬ人と交わることを覚えてゆく著者の行動は感動的だ。海外で暮らし、英語を教えるコツを自覚することにより、欧州のさまざまな語学(フィンランド、フランス、ドイツ、リトアニア、エスペラント、スペイン、ルーマニア、アイスランド、ウェールズ)を自習し話せるようになる。彼のHPではフランス語とスペイン語を優しく覚えられるプログラムを手ごろな費用(1コース25ドル)で提供している。

詳しいことは本を読んでもらえば分かるし、いろんな書評にも紹介されているので繰り返さない。僕がここで言いたかったことは、自閉症の方々は人との関わりが難しいという障害を持っているが、本人の適性に応じた仕事では人並み以上の能力を発揮することがある。自閉症の方々の就職では試験や面接ばかりでは能力を見極めることが難しい。本人をよく知った方々の紹介から試用期間を経て本人を理解するという、障害者に対する社会の理解が深まればもっと活躍の場が得られるのではないかということである。著者も障害に対するわだかまりを持たぬ友人達の支えで友情を知り、愛を知り、神への信仰も深めて行く。健常者と何の変わりも無いことを本書を通じよく理解できる。著者は最後に聖書のコリント人の手紙の一節を引用している。仏教の経典にも共通する表現があるように思われるが、こんな素晴らしい言葉を教えてもらってありがたいと思う。

愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を念わず、不義を喜ばずして、真理の喜ぶところを喜び、凡そ事忍び、凡そ事信じ、凡そ事望み、凡そ事耐ふるなり。愛は長久までも絶ゆることなし。げに信仰と希望と愛と、この三つの者は限りなく存らん。しかしてそのうち最も大いなるは愛なり。

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