野口悠紀雄さんの最近の著書「モノづくり幻想が日本をダメにする」を面白く読んでいるが、気になる章があった。章の題は「英語力が国力を決める時代」
最近のインターネットの発達で新聞記事や文献がどんどん検索が容易になって来た。グーグルは大学図書館等の専門書の電子化作業に乗り出しておりデジタル検索はますます容易になる。問題はグローバルな検索対象は英語の文献、ひいてはヨーロッパ言語が中心で日本語はそれから外れるだろう。Wikipediaの検査項目を見ても日本語は約40万の項目があるが、英語はその5倍近い項目がある。その日本語も同じ項目で英語版を調べてみると、日本語版は英語版をベースにしたモノがけっこうある。
もともと日本は島国で、しかも出版文化、翻訳文化が盛んで何でも日本語で間に合ってしまうので、日本人の英語力は低かった。最近のゆとり教育が英数国能力の低下に更に拍車を掛けたし、大学全入時代であれば英語を真剣に学ぼうとする意欲も低下するだろう。
インターネットを通じて経済活動はずいぶんグローバル化している。僕個人でもCDや本を米国Amazonで購入している。インターネット上の世界言語は英語だ。英語でメールのやり取りをし契約をする、世界中がその環境でビジネスを行っている。日本はこの英語の大衆化から取り残されていると著者も警告しているし、僕もそう思う。
日本の衣食は素晴らしく、伝統美術も見事だ。農村の風景も緑が目に鮮やかで大好きだ。日本映画も最近はとても面白い(韓国映画もそうだが)。英語無しでもそれらを堪能する生活は続けられる。だが、いやおう無しに毎日の生活がインターネットを通じグローバル化されている今日では、英語力がないと世界経済の一員となれないのではないか? 日本の伝統文化は素晴らしいが、インターネット中心の現代の文化では日本は文化小国となりつつある、またはなってしまったのではないかと憂う。
ただその言葉の壁がマイナスに働いていない皮肉な結果もある。英米ではコールセンターやデータ処理業務、ひいては税務、法務、会計の専門職まではどんどんアウトソースでインドや中国にオンラインで仕事が回っている。米国の大学では卒業してもインド人並みの低賃金しかもらえないとコンピューター・サイエンス分野に学生が集まらなくなってしまった。日本ではインド人や中国人を連れてきてもすぐに日本語を習得してもらうのに時間が掛かり、アウトソースが進んでない。日本の労働者は言葉の壁で守られている。だが何時までのことだろう。日本の通販会社で中国にコールセンターやデータ処理センターを作る会社はどんどん増えているとTVの特集番組で見たばかりだ。
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